久しぶりに暮しの手帖を買った。
母がよく読んでいて、小さい頃からなじみのある雑誌である。
さて、目次を読んでみると、先日亡くなった阿久悠さんの「日本人らしいひと」がまず目にとまった。
以下、引用。
女の子だからといって
ヨワヨワしていたり
メソメソしていたり
何かというと他人を頼りにして
愛しいと思われてみたり
そんな子である必要はないのですよ
助けてやりたいとか
庇ってやりたいとか
守ってやりたいとか
男にとってはいい気分だろうけど
そんなもの 美徳でも
魅力でもありゃしない
いいかい 女の子だって
強くってもいいんだよ
書かれていることすべて、私が少女時代からずっと思ってきたことだ。
ちょっと省略して、さらに続く……
傷つけないようにハッキリと言い
侮辱を感じさせない態度をしたら
あとは 自由に生きなさい
強く生きなさい
自由で強くてやさしい子を
凛としている言います
凛とした女の子になりなさい
凛とした……
近頃いないのです
そうか、私がずっとなりたいと思っていたのは、凛とした女の子だったのか。
そんな思いを抱いている人は、私の周りにはあまりおらず、変なヤツと思われたこともあった。
大学生になると、かわいげのないヤツと男の子達に言われたものだった。
そして、お決まりのように、
「おまえが男だったら、良かったのにな。」
と言われたものだった。
大人になり、おばさんとなった今でも、やはり人に頼るのは苦手。
甘えるのが苦手なところは、相変わらず。
でも、凛とした女の子を目指していたのだから、自分の思い通りの道を歩いてきたということなのかもしれない。
阿久悠さんを偲んで、彼の詩に描かれている女性について語っている人がいた。
この文に書かれているように、やはり「凛とした女の子」が、彼の詩の主人公だったようだ。
ただ、阿久悠さんが、この「凛とした女の子におなりなさい」のあとがきとして、大股で闊歩するのは結構だが、容貌やスタイルや態度と同様に、心が魅力的かと言うとそうではなく、ただの不行儀が多いと書いている。
確かに、そこが難しいところだ。
男勝りの女の子、潔い女の子はかっこいい。
しかし、そこにがさつさが見え隠れするのは、やはりいただけない。
どこか細やかさが感じられ、性別を越えた人間的魅力があるのが理想的だと思う。
二人の娘には、ぜひそんな凛とした女の子であってほしい。
そして、私自身も、凛としたおばさんに近づけるよう、日々邁進したいとあらためて心に誓ったりして……。